この記事では、第170回直木賞受賞となった川﨑秋子さんの『ともぐい』を紹介します。
食べるためには獲物を仕留めないといけない。仕留められなければ草を食べるしかない。
文明の力にどっぷりつかっている私たちが、そんな生活を想像できるでしょうか。
『ともぐい』は人里離れた山の中で、狩りをして生活している孤独な男の物語です。
この本を読むと、「生きる」ということ、「食べる(命をいただく)」ということについて、深く考えさせられます。
重く読みごたえがあるので、時間が取れるときにじっくりと読んでもらいたい本です。
この本を読んだ感想をまとめしたので、ぜひ最後まで読んでください。
『ともぐい』という本について
タイトル | ともぐい |
著者 | 川﨑秋子 |
出版社 | 新潮社 |
発行日 | 2023年11月20日 |
ページ数 | 282P(電子書籍) |
『ともぐい』は2023年下半期の第170回直木賞にノミネートされ、みごと受賞されました!
直木賞の評価基準として、エンターテイメント性にあふれていること、があります。
熊との激闘の場面は、緊張感あり臨場感ありドキドキで、ノミネートされた訳がわかりました。
著者について
著者である川﨑秋子さんのプロフィールです。
- 北海道別海町生まれ。北海学園大学経済学部卒。酪農従業員をしながら緬羊を飼育・出荷するかたわらで小説を書き、2014年に「颶風の王」で三浦綾子文学賞を受賞。これが単行本化されデビュー
- 2011年 第45回北海道新聞文学賞[創作・評論部門/佳作]「北夷風人」
- 2012年 第46回北海道新聞文学賞[創作・評論部門]「東陬遺事」
- 2014年 三浦綾子文学賞「颶風の王」
- 2015年 第29回JRA賞馬事文化賞『颶風の王』
- 2018年 第21回大藪春彦賞『肉弾』
- 2020年 第39回新田次郎文学賞『土に贖う』
川﨑秋子さんの本は、第167回直木賞候補となった『絞め殺しの樹』を読みました。
この著者の本は、サクッとさらっとは読めないので気合が必要ですが、読んでしまえば一生忘れないんじゃないかと思われるものを残してくれます。
興味をもたれた人はこちらもどうぞ。
『ともぐい』のあらすじ
熊爪は北海道の山奥で、犬とともに猟をして生活をしていた。
いつものように山で獲物を探しているときに、血まみれで動けなくなった人(太一)を見つける。
熊の爪で顔をえぐられ、目が見えなくった太一に「銃をあげるから助けてほしい」とお願いされる。
日ごろ人と関わらないように生きている熊爪にとって、太一が生きようが死のうがどうでもいい。
いろいろと思案した熊爪は、「自分のために」太一を助けることにする。
見どころ
自分の力を頼りに一人で生きてきた熊爪が、あることをきっかけに価値観が変わり、生き方を変えようとしていくところが見どころになります。
『ともぐい』は電子書籍にもなっています。
電子書籍で読むなら、kindle端末が目が疲れなくて楽ですよ。
『ともぐい』を読んだ感想
それでは本作品を読んだ感想を、心に響いた言葉を紹介しながら述べていきます。
※ネタバレを含みますので、まだ読んでいない人はご注意ください。
山にいるもので例えるのが面白い
熊爪は動物を相手に生活をしているためか、人間をいちいち動物に例えるのが面白いと思いました。
ああ、木兎(みみずく)の目に似ているのだ、と熊爪は山の記憶を掘り起こした。
引用:川﨑秋子『ともぐい』電子書籍P73
太一を診てくれた医者を、何となく苦手としているみみずくの目に似ていると言っています。
そうか、と静かな答えながら、手負いの鷲の目のような怒りと冷たさの気配があった。
引用:川﨑秋子『ともぐい』電子書籍P81
ただ動物に例えるのではなく、“手負いの”と状態まで言っていますね。
読みながら動物のたとえを見つけると楽しくなってきました。
ふじ乃の月光に照らされた手と、頭を下げた時に見えた首筋が、白い毒茸の軸のように思えて気味が悪かった。
引用:川﨑秋子『ともぐい』電子書籍P89
ああ、死んだ鹿の目だ。今この女は、野で命を落とした鹿の目に似ている。
引用:川﨑秋子『ともぐい』電子書籍P153
動物だけでなく、きのこまで出てきました。しかもきのこの軸です。
白い毒茸も死んだ鹿の目もふじ乃という女性のことですが、熊爪があまりよく思っていないことがわかりますね。
辛辣すぎます。
反対に気に入った女子のことは次のように例えます。
翡翠(かわせみ)みてえな声だったな、と熊爪は思った。
引用:川﨑秋子『ともぐい』電子書籍P92
動物園の飼育員さんでもなければ、街で暮らしている人はこんなに動物で例えることはできませんよね。
人間を動物を通してみているのが面白いと思いました。
「生きる」「生きている」とはどういうことか考えさせられた
「生きる」「生きている」とはどんな状態のことだろうか、と考えました。
痛いならいいでねえか。熊爪は思う。
痛いなら、辛いなら、苦しいなら、それは確かに生きている証拠なのだ。
引用:川﨑秋子『ともぐい』電子書籍P58
熊に襲われ重傷を負った太一の手当てをしてあげてるときに、太一が痛い痛いと泣き叫びます。
死んでいたり、死にそうなときには痛いと叫ぶことはできませんね。
「熊の目玉ば食わせても、あいつの目玉、戻るわけでねえ」
だから、あの男が昨日床に伏して嘆いたことには、なんの意味もないのだ。
傷の仇もとれないのなら、ただ自分の弱さとともに生きていけばいい。まして他人が胸を痛めることではない。
引用:川﨑秋子『ともぐい』電子書籍P91
太一は医者に診てもらえば目は見えるようになると思っていました。
でももう狩りはできないと知って、嘆き悲しみます。
それを熊爪は意味のないことだ、ただ自分の弱さとともに生きていけばいい、と。
自分のことを、弱さをもった生き物だと受け入れて生きていくということかなと思いました。
変わってしまった自分を受け入れるのってそんなに簡単ではないですけどね。
太一ほど大変なことでは全くないのですが、私は老いを受け入れようとしている最中です。
窓ガラスに映る自分の姿にぎょっとしたり、若いときなら考えられなかった間違いや物忘れがあったり。
どんな自分になっても、受け入れて生きていくしかないんですよね。生きているのだから。
魚と肉が獲れ、水が湧き、弓と矢を作れるところならば死ぬことはない。どこでも生きてゆける。
(中略)
腹は減り、それを満たす手段を会得している。それだけで己は勝者だった。
引用:川﨑秋子『ともぐい』電子書籍P239
腹を満たす手段を持っている。それは確かに強みだと思います。
ただ生きる、という意味では。
でも現代に暮らす私たちは、一日中腹を満たすための行動だけしていて、「生きている」と言えるのでしょうか。
自分の命を維持するだけでは生きているとは言えない、と私は思いました。
腹を満たし、命を維持して、子孫を残す。
それだけなら動物と同じです。
ではどう生きればいいのか。
いい歳をしたおばさんになっても答えがでません。
今まで何をしてたのでしょうね。
自分は何のために、どうやって生きるのかをちゃんと考えないといけないと思いました。
動物も人も本能に動かされている
本のタイトルである『ともぐい』ですが、熊の本能について初めて知りました。
その母熊とまぐわうことを目的に、雄熊は邪魔な子熊を殺すことがある。
引用:川﨑秋子『ともぐい』電子書籍P102
子熊を連れた母熊に胤をつけるために、子熊を殺すことがあるんですね。
子どもを殺された母熊は当然怒り狂います。
今、熊爪は雄熊の気持ちが少しわかる。雄の本能は女に産ませるための行為そのものに囚われすぎなのだ。
引用:川﨑秋子『ともぐい』電子書籍P264
陽子は子がだめになるかもしれないから困る、と言ったが、知ったことではない。
引用:川﨑秋子『ともぐい』電子書籍P265
人間である熊爪も、雄熊と変わらない。
お腹の子のために、拒否しているのに、「知ったことではない」と。
胤をつけるのが雄の本能なら、子を守るのは雌の本能。
お腹の子が殺されるかもしれないと思ったら、相手を殺したくなるのかもしれない。
女にとって子どもを産むのは命がけなのだから、命をかけて守ろうとするのは当然だと思いました。
最後に
第170回直木賞となった川﨑秋子さんの『ともぐい』を紹介しました。
本作品を読めば、改めて「命」について考える機会となります。
まだ読んでいない人はぜひ読んでみてください。
第170回直木賞候補となっている作品について、選考委員気取りでまとめた記事がこちらです。↓
興味のある人はぜひご覧ください。
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