この記事では、第163回直木賞にノミネートされた今村翔吾さんの『じんかん』を紹介します。
この本は、斎藤道三・宇喜多直家と並んで戦国時代の三大梟雄の一人、松永久秀の物語。
久秀というと、謀反を繰り返す卑怯な人といった印象を持っていましたが、本作品を読んでガラリと変わりました。
タイトルの『じんかん』の意味も気になるところだと思いますが、漢字にすると『人間』です。
久秀の半生を通して、人間の本質とは何か、人はなぜ生まれなぜ死んでいくのかという永遠の問いにも触れています。
そんなこの物語を読んだ感想を、名言を紹介しながらまとめました。
ぜひこの記事を本選びの参考にしていただければ幸いです。
『じんかん』について
タイトル | じんかん |
著者 | 今村翔吾 |
出版社 | 講談社 |
発行日 | 2020年5月27日 |
ページ数 | 488P(電子書籍) |
松永久秀は素性が良くわかっていない人です。
わかっている事実と事実の間を埋める創造力のすごさに、震えるほど感動しました。
創作だとわかっていても、物語の圧倒的な力の強さのおかげで、この本を読んで得た久秀の印象は変わることはないだろうと思いました。
松永久秀のことをよく知らない人でも、物語の世界にグイグイと引き込まれること間違いなしです。
著者について
著者である今村翔吾さんのプロフィールです。
1984年京都府生まれ。2017年『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』でデビュー。
2020年『八本目の槍』で第41回吉川英治文学新人賞を受賞。同年本書で第11回山田風太郎賞を受賞。
2021年「羽州ぼろ鳶組」シリーズで第6回吉川英治文庫賞を受賞。
2022年『塞王の楯』で第166回直木賞を受賞。
他の著書に、「イクサガミ」シリーズ、「くらまし屋稼業」シリーズ、『童の神』『ひゃっか! 全国高校生花いけバトル』『バトル』『幸村を討て』『茜唄』(上・下)『戦国武将を推理する』などがある。
引用:『じんかん (講談社文庫)』(今村翔吾 著)
今村翔吾さんの作品は、直木賞を受賞した『塞王の楯』を読みました。
『塞王の楯』も時代小説ですが、こちらは石垣職人のお話です。
武将の話ではないし、地味な感じがしますよね。
石垣職人に特に興味はないな、、、と思いながら読みはじめましたが、あっという間に読了してしまいました。
今村翔吾さんは、読者を物語の世界に引き込む力が並外れた作家さんだと思います。
『塞王の楯』の紹介記事があります。気になった人はぜひご覧ください。
『じんかん』のあらすじ
足軽の又九郎は、松永久秀の謀反の知らせを伝えるために信長の元へ来た。
信長はなぜか上機嫌で、酒を一緒に飲むように言う。
そして、素性が知られていない久秀の生い立ちについて、久秀から聞いた話を又九郎に語りはじめた。
見どころ
父を殺され、母も死んで兄弟2人だけになった久秀が、もともと持っている賢さや人との出会いで大名にまで上り詰めるところ。
また、久秀が自分の生きた証をどうやって残そうとしたのかが見どころになります。
『じんかん』は電子書籍でも読むことができます。電子書籍を専用リーダーで読むようにしてから、目が疲れなくて、読書が楽ちんになりました。
『じんかん』を読んだ感想
それでは本作品を読んだ感想を、名言を紹介しながら述べていきます。
理想の世の中とは何か
久秀は三好元長の理想を聞いて、元長について行くことに決めました。
しかし元長に立ちはだかる細川高国の言葉で、久秀も私も何が理想かわからなくなりました。
元長は、武士が支配する世の中をやめて、民が自分自身で治める国にしようとします。
要は、民主主義です。
ところが高国は全く違うことを言いました。
お主は武士が天下を乱していると、民を苦しめていると思っているのではないか?
(中略)
答えは一つしかあるまい……民は支配されることを望んでいるのだ
引用:『じんかん (講談社文庫)』(今村翔吾 著)電子書籍P276
一揆があちこちで起こるので、立ち上がる者はいる。
でもそれに続かないのはなぜなのか。
それが全国に広がったなら、世の中はひっくり返りそうですけど、そうはならないんですよね。
生活は楽になりたい、でも自分が立ち上がるのは嫌だ、と思っていると。
支配されたがっている。それは今の時代もそうだと常々感じています。
支配されていれば、自分で考えなくていいから楽なんですよね。
文句だけ言っていればいいですしね。
さらに高国はこう言います。
民は自らが生きる五十年のことしか考えていない。その後も脈々と人の営みが続くことなどどうでも良いというのが本音よ
引用:『じんかん (講談社文庫)』(今村翔吾 著)電子書籍P277
国でなくても会社でもそうですが、先のことまで考えている人って、思っているよりずっと少ないと思います。
今、自分の責任の間だけ何事もなく過ぎればいいと考えている。
私は元長の考えに賛同できませんでした。
民主主義の時代を生きていて、理想の世の中になっていると思えないからです。
だからといって支配されるのもリスキーですね。
支配者によって生きづらさが天と地ほど変わってしまいますから。
それなら、どんな世の中だったら理想なのかわからなくなりました。
「善」の力の恐ろしさ
自分を「善」と信じる人たちの集団の力ほど恐ろしいものはないと思いました。
全ての民に遍く共通する快がある
(中略)
己を善と思い、悪を叩くことは最大の快楽。たとえ己が直に不利益を被っておらずともな。
引用:『じんかん (講談社文庫)』(今村翔吾 著)電子書籍P277・278
宗教が絡んだ一揆などそうですよね。
一向宗を信望する人たちが仏敵に対して起こした一揆などなど。
でも、今の時代も変わらないのではないでしょうか。
例えば、不倫した芸能人に対する過剰なバッシング、、、
今は暴徒化するのではなく、SNSで炎上すると形は変わっていますが、同じことだと思いました。
その力の凄まじさたるや。
自殺してしまうほど追い詰めたりしますよね。
そもそも善悪なんて簡単にひっくり返るのに。
「善」を盾にした集団の力に対抗する術はなく、ただただ恐ろしいと思いました。
自分を証明することの難しさ
今の時代は身分証明書を持っていれば、自分の証明ができますよね。
でも身分証を持っていないとき、自分をどうやったら証明できるのか、と考えたことがありませんでした。
生まれながらに己だけが己を知っている。親から与えられた九兵衛と謂う名も確かにある。
だがそれだけで漫然と生きていれば、自らの証左にすらならない。
己を証明するために、自らの外にある人や物に頼らざるを得ない、人とはそのような不確かな生き物であるらしい。
引用:『じんかん (講談社文庫)』(今村翔吾 著)電子書籍P128
人々が「あの人は○○さんだ」と言ってくれれば、自分が○○だという証明になる。
でも自分で自分は○○だと証明するのは、案外難しいということに気づかされました。
DNA鑑定はなしですよ。
久秀は、「松永久秀」が生きた証を残そうと必死に生きました。
自分のことを知っている人が、死んでしまった後でも残るようにと。
そんなことを考えたこともなかったので、それだけでも久秀はすごい人だと思いました。
最後に
第163回直木賞の候補となった今村翔吾さんの『じんかん』を紹介しました。
戦国武将松永久秀の印象をガラリと変える物語です。
まだ読んでいない人はぜひ読んでみてください。
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